イエス・キリスト

--その偉大なる生涯--

10. 苦悩の夜

  「そのとき、彼らに言われた、『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい』。そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、『わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい』。」

 新約聖書マタイによる福音書26章38節、39節

 「この夜を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたこと」(新約聖書ヨハネによる福音書13章1節)をお知りになったイエス・キリストは、ユダヤ民族の聖祭、過ぎ越しの祭りを目前にひかえた木曜日の夜、十二でしとともに最後の一夜を過ごされたのでした。イエス・キリストは、みずからでしたちの足を洗い、みずからの血と肉とを象徴するぶどう酒とパンを与えて、十二でしにしそかに別れを告げようとされるのです。この夜は、イエス・キリストと十二でしとの地上における最後の晩さんだったのです。

 中世の天才、レオナルド・ダ・ビンチはイエス・キリストの受難のこの一場面をみごとにカンバス上に再現しました。彼以前にも多くの画家が最後の晩さんを描きつづけてきましたが、レオナルド・ダ・ビンチほど最後の晩さんの情景を生き生きと、しかも劇的に描きだした人はほかにありませんでした。レオナルド・ダ・ビンチは、夕食の最中、イエス・キリストがもらされた、「あなたがたのうちのひとりがわたしを裏切ろうとしている。」(新約聖書ヨハネによる福音書13章21節)というひと言が、まるで晴天のへきれきのようにでしたちに衝撃を与え、それまで静かだった夕食の席がにわかにざわめきたつという劇的な一瞬をとられて描きました。思わず立ち上がるでし、恐れとおののきで身をひくでし、それは自分のことなのかとイエス・キリストに問いただそうとするでし、それぞれのでしがそれぞれの気性に応じた反応を示しているのです。なかでも、ヨハネの隣に座った気性の激しいペテロは、やにわに卓上のナイフをつかんで身をのりだし、ヨハネに「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」(新約聖書ヨハネによる福音書13章24節)と耳うちしています。

 しかし、ひとりだけ他のでしとは異なった反応を示しているでしがいます。イスカリオテのユダです。ヨハネとペテロの間にすわっていたユダは、すべてをあらわにするイエス・キリストのことばにがく然とし、かろうじて右手で自分のからだをささえるのです。無意識に差しのべられたその左手は、イエス・キリストの右手にある皿に触れようとしていますが、その同じ皿にイエス・キリストの右の手も触れようとしています。こうして「わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が」(新約聖書マルコによる福音書14章20節)イエス・キリストを裏切ることが成就されるのです。

 「イエスは……一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、『しようとしていることを、今すぐするがよい』。席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、解っていた者はひとりもなかった。ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、『祭のために必要なものを買え』と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。」(新約聖書ヨハネによる福音書13章26節ー30節。アンダーライン筆者)

 イエス・キリストとユダのふたりにはすべてが手に取るように明らかでした。しかし、他のでしたちには何が起ころうとしているのかまるで見当さえつかなかったのです。いったいだれが裏切るのだろうか。その裏切り者はどこにいるのだろうか。なぜ裏切らなければならないのだろうか。でしたちの目は依然として閉ざされていました。すぐ目の前に迫っている、いやそれどころか、この最後の晩さんにおいてもうすでに始まっているイエス・キリストの受難を透察することができなかったのです。

 まもなくイエス・キリストは十字架の苦難を受けようとされているのに、でしたちは、それに対する心の備えはおろか、十字架の苦難すら予見することができないのです。イエス・キリストは、ほんとうにただひとりで全世界の罪と苦悩をその身に背負わなければならなかったのです。

 夜のやみ

 二階座敷に集まってきたころは、まだたそがれのほのかな明かりが残っていた屋外も、晩さんが終わりに近づくにつれてとっぷりと夜のやみに包まれていました。深まってゆく夜の静寂の中で、イエス・キリストと十二人のでしはそれぞれの思いにふけっていました。しかし、屋外のやみよりもはるかに深い魂のやみに包まれていたのはイスカリオテのユダでした。

 「ユダは一きれの食物を受けとると、すぐに出て行った。時は夜であった。」(新約聖書ヨハネによる福音書13章30節)という簡潔な描写は、それが簡潔であればあるほど、かえってユダの魂のやみがどれほど深かったかを伝えています。どうして、ユダはともしびのともる二階座敷にとどまろうとしないで、みずから夜のやみに踏みだしてしまったのでしょうか。たとえ、迷い、疑いながらも、イエス・キリストのもとにとどまってさえおれば、再び信仰に立ち返る機会があったのです。それを思うとき、わたしたちの心はいたみをおぼえます。

 しかし、ユダの記録は、またわたしたちに対する警告でもあります。それは、「光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」(新約聖書ヨハネによる福音書12章35節、36節)という重大な警告なのです。わたしたちも、やみの中に踏みだし、その中で迷ってしまうことのないように、光の君イエス・キリストのそばから離れないように注意しようではありませんか。

 ユダが夜のやみの中に去った後、十一でしに告別の説教を与え、あとに残される彼らの上に神様の豊かな恵みと祝福が下るようにあつい祈りをささげられたイエス・キリストは、驚くべきことに、みずからもユダの去っていったその同じやみの中に出て行かれるのです。まるで去って行ったユダを追い求めるかのように夜のやみの中に歩を進められるのです。

 イエス・キリストがやみの中に出て行かれたことは、なんと意味深い行為だったことでしょうか。ユダだけがやみの中にいたのではありません。わたしたちも、だれひとり例外なく、ユダと同じように人生の夜のやみにうごめいていたのでした。あるいは人生の暗さに圧倒されて力なく、あるいは、暗やみに乗じてこれ、幸いと暗やみのわざを行い続けていたのでした。しかし、イエス・キリストはこのやみの中に突入してこられました。そして行く手も見えない暗やみの中にさまよっているわたしたちを照らし、真理と命への道をさし示してくださったのです。「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照らして下さったのである。」(新約聖書コリント人への第2の手紙4章6節)

 しかし、この歩みは、イエス・キリストご自身にとっては苦悩に満ちた一歩一歩でした。いつも祈りとめい想のための静かな一夜を過ごされたゲッセマネの園への道すじは決して光輝く明るい道ではなかったのです。世界のやみのまっただ中をイエス・キリストは歩まれたのです。 

 ケデロンの谷をへだてて、オリブ山の中腹にゲッセマネの園がありました。幾百年を経たオリーブの老樹が今なおおい茂るこのゲッセマネの園が、人としてこの世に誕生し、三十数年にわたる生がいを送られたイエス・キリストの地上最後の場所となったのです。ゲッセマネの園がイエス・キリストの苦悩の一夜の場所となったことは、くしくもふさわしいことでした。なぜなら、ゲッセマネということばはヘブル語で「油しぼり」を意味していたからです。

 イエス・キリストは地上最後の一夜を、オリーブの木のおい茂るゲッセマネの園で過ごされ、血と汗をふりしぼってわたしたちひとりびとりの罪のために孤独な戦いを戦い抜かれたのです。それは、祈りというより、激しくほとばしり出る魂の叫びでした。新約聖書ヘブル人への手紙の中に、「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。」(ヘブル人への手紙5章7節)とありますが、このような表現でさえも、なおゲッセマネの園におけるイエス・キリストの苦悩を十分に言い表すことができないほど激しい内的な戦いだったのです。

 なぜなら、今、イエス・キリストの肩には全世界の罪がおかれようとしていたからです。いったい、だれがこのような重荷に耐え得たでしょうか。神のみ子、イエス・キリストでさえも、もしできることなら、その重荷をになわずにわたしたちひとりびとりを救うことができないのでしょうかと、神様にいくたびもいくたびも問わなければならなかったほどの重荷だったのです。夜もふけてゆく静じゃくのゲッセマネの園で、イエス・キリストの全存在をかけた苦悩も知らぬげに、眠りこける十一人のでしのかたわらで、わたしたちの救い主は孤独な戦いを戦い抜かれたのです。

 ゲッセマネの苦悩

 「口うるさく注意されるうちがはなで、何も言われなくなったらもう終わりですよ」というせりふをよく耳にします。たしかに、がみがみいわれるうちはまだ受け入れられ、期待されている証拠です。人間、何がつらいかといって、人から見捨てられ、相手にもされず、ことばもかけられなくなってしまうことほど悲しくつらいことはほかにありません。

 親のいいつけを守らなかった子供がいちばん恐れるのは、絶食やむちなどの刑罰ではありません。親のダンマリ戦術ほど子供にとって骨身にこたえるお仕置きはほかにありません。昔の人は沈黙を人間の美徳の一つに数えて、<沈黙は金>なりといいましたが、今日のようなじょう舌の時代においては、それは鉄のように冷たい拒絶の表現なのです。

 イエス・キリストのゲッセマネの苦悩も、そこにありました。イエス・キリストの激しい苦悩の叫びは、いたずらにゲッセマネのやみにこだましているかのようでした。血と涙をふりしぼって祈るイエス・キリストの祈りへの答えは、ただ沈黙のみでした。神はイエス・キリストの熱烈な祈りの前でただひたすら沈黙しておられるのです。

 「生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいこと」だと新約聖書ヘブル人への手紙10勝31節にしるされていますが、それにもまして恐ろしいことは、その生ける神のみ手の外にはみだしてしまって、生ける神のあわれみのことばはおろか怒りのことばさえも聞けなくなってしまうことではないでしょうか。イエス・キリストが今味わっておられる苦悩はまさに、この生ける神が、あわれみのことばも怒りのことばも発せられないで、ただひたすら沈黙を守っておられることにあったのです。

 「悪い者の上にも良い者の上にも」同じように「太陽をのぼらせ……雨を降らし」てくださる神様(新約聖書マタイによる福音書5章45節参照)がなぜ罪もないみ子イエス・キリストを前にしてこのように沈黙を守らなければならなかったのでしょうか。それは、イエス・キリストがわたしたち罪人に代わって、神様の前に立っておられたからです。わたしたちの罪は神様に永遠の沈黙をしいるほど深く大きいのです。イエス・キリストはこのおそろしくも深く大きいわたしたちの罪をその双肩ににない、神の前に一晩じゅう立ち続け、罪人にそそがれるはずの恐ろしい神の沈黙に耐えてくださったのでした。それもひとえに、あふれ出るわたしたちへの愛のゆえでした。

 「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、『わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい』……また二度目に行って、祈って言われた、『わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように』……また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。」 

 (新約聖書マタイによる福音書26章39節、42節、44節)

 わたしたちの罪の身代わりになるということは、決してなまやさしいことではありませんでした。なぜなら、それは徹底的に神に見捨てられ、深い神の沈黙に会いながらも、最後まで信仰によって神の沈黙に耐え抜くことを意味していたからです。徳川時代、幕府のはげしい弾圧のもとに多くのキリシタンがころんでいきましたが、彼らにとっての最大の試みは神の沈黙だったのです。なぜ神は、この信心深い信奉者を救われないのだろうか。奇跡が最も求められているのは、この時であるはずなのに、どうして神は熱心な祈りにも答えられずに、手をこまねいておられるのであろうか。ころんでも良いなら、ころんでも良いと、ころんではならないのならころんではならないと、せめてひと言でもなぜ、お語りにならないのだろうか。なざこれほどかたくなに沈黙を守っておられるのだろうかと彼らは悩んだにちがいないのです。

 人間は沈黙にーーことに、神の沈黙にーー耐えることはできません。人間とは語り、また語りかけられなければならない存在なのです。しかし、犯した罪のゆえに神から語りかけれれるという特権を失ってしまったのです。イエス・キリストは、今ゲッセマネの園で、この語り、また語りかけられる特権を回復しようとしておられました。みずからが、神の徹底的な沈黙に最後まで耐え抜くことによって、神のあわれみに満ちた語りかけをわたしたちのために再び回復してくださったのです。

旧約聖書に、「人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。」

    (哀歌3章27節、28節)

とありますが、イエス・キリストも、わたしたちの救いのために、ひとりゲッセマネの園で、神の沈黙に耐え、黙してわたしたちの罪を背負ってくださったのです。

 捕縛と裁判

 イエス・キリストが人類の救いのために血と涙を流して祈っておられたころ、たいまつのあかりをたよりに一団の人々がゲッセマネの園に向かっていました。彼らの先頭に立っていたのは、ほかならぬユダでした。しかし、イエス・キリストは逃げかくれなさいませんでした。新約聖書ヨハネによる福音書18章4節に、「イエスは、自分の身に起ころうとすることをことごとく承知しておられ、進み出」られたとしるされています。ここには、悩み、もだえるこれまでの姿はもはや見られません。イエス・キリストは今、神様が与えられた苦難の杯を決然と飲みほし、恐ろしい神のさばきを受けようとしておられるのです。

 色めき立って剣をとり、手向かおうとするペテロをいましめられたイエス・キリストは、みずからすすんで彼らのなわを受けました。もし望むなら、そのなわ目をふりほどく神の力を宿しながらも、あえてなわ目に甘んじ、当時、ユダヤ国家の最高議決機関であったサンヒドリンに引き立てられていったのです。

 人々がやすらかな眠りをむさぼっていたころ、救い主イエス・キリストは、アンナスからカヤパ、カヤパからサンヒドリンとあちらこちら引き回されて審問されたのです。それはいかなる手段に訴えてでも、異端者イエス・キリストをなきもにしようと決意したユダヤの指導者層がイエス・キリストについて不利な証言を立てさせるために集めたいく人かの偽証人を交えた秘密裁判でした。このような裁判にどうして公正を期待することができるでしょう。

 果して、イエス・キリストによせられた罪状は、良識ある者が見れば、どうしてもうなずきがたい取るに足りないものでした。ひとつは、イエス・キリストがエルサレムの神殿を破壊しようと計画したということであり、もうひとつは、彼がみずから神の子であると主張して神の名を汚したということでした。(新約聖書マタイによる福音書26章60節ー65節参照)もちろん、これらは旧体制と、自分たちの既得権を維持することにきゅうきゅうとしていた祭司たちにとっては見のがすことのできないゆゆしい問題ではありましたが、しかし、このような罪状では彼を死に定めるのにはあまりにも薄弱すぎました。そこで彼らは、この問題を宗教的なものから政治的なものにすり代えることによって、イエス・キリストを政治犯に仕立て、当時、エルサレムに在住していたローマ総督ピラトを介入させようと計ったのです。

 イエス・キリストがピラトの官邸につれて行かれたのは、東の空もしらむ、夜明けごろでした。そこには、おどしと報酬に踊らされた群衆が詰めかけていたのです。彼らは、口々にイエス・キリストを訴え出ました。「わたしたちは、この人が国民を惑わし、貢ぎをカイザルに納めることを禁じ、また自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました。」(新約聖書ルカによる福音書23章2節)

 なんと巧妙な、しかし虚偽に満ちた証言でしょう。イエス・キリストは政治反乱を企てたことともなければ、税金不払い運動を指導したこともありませんでした。まして、ユダヤ王になろうという野心の片りんすら見せられませんでした。反対に興奮した群衆が、イエス・キリストを政治的に利用し、まちる上げようと望んだときでさえ、それを断固として退けられたのはイエス・キリストだったのです。

 絶えずユダヤ民族の動向を探っていたピラトがこの虚偽の訴えの不当さに気づかないはずはありません。しかし、このような訴えがあった以上、ピラトはその職責上、イエス・キリストを審問しなければなりませんでした。ですから、ピラトの審問には、イエス・キリストに対する同情があふれています。彼はイエス・キリストの無罪を確信しました。汚れなき神の子イエス・キリストを前にして、いったいだれが彼の中に罪を見いだすことができるでしょうか。ピラトがイエス・キリストと向き合ってその中に見いだしたものは、「真理」だったのです。

 しかし、ピラトは「真理」の探求者ではありませんでした。彼は自分の身の安全をまず第一に願う一介の政治屋にしかすぎませんでした。イエス・キリストを救いたいのは山々ながら、さりとて、ユダヤ人の意向を無視して彼らの支持を失ったのでは、自分の政治的生命にも大きく響くことを恐れたピラトは、こ息な手段でこの難問を解決しようとはかりました。それは、過ぎ越しの祭りのときに恩赦をほどこすというユダヤ人のしきたりに従って、イエス・キリストを許すように提案したのです。しかし、ピラトは、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。」(新約聖書ヨハネによる福音書19章12節)というユダヤ人のおどしに屈服してしまいました。

 「ピラトはこれらの言葉を聞いて、イエスを外へ引き出してゆき、敷石(ヘブル語ではガバタ)という場所で裁判の席についた。その日は過ぎ越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった。ピラトはユダヤ人らに言った、『見よ、これがあなたがたの王だ』。すると彼らは叫んだ、『殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ』。ピラトは彼らに言った、『あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか』。祭司長たちは答えた、『わたしたちには、カイザル以外に王はありません』。そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。」(新約聖書ヨハネによる福音書19章13節ー16節)

Copyright (C) 2001 by VOP Japan at Japan union conference of Seventh-day Adventist church. All Rights Reserved.