預言の声聖書講座 第1部 第1課

生きている古典

 聖書は人類の持つ古典の一つです。その中の一番古い部分は今から約3500年前に、そして最も新しい部分でも1900年くらい前に書かれたものです。そんなに古い本ですが、今もなお多くの人が読んでいます。ヨーロッパやアメリカだけでなく、日本でも毎年一番売れている本で、本当のベスト・セラーです。1986年には日本だけで900万部売れました。世界中では6億部以上売れているのです。この事実をみると、聖書の中には何か人の心をとらえるものがあると思われます。この課では、聖書がどんな本であるかを学んでみたいと思います。

1.聖書の成り立ち

 聖書は旧約聖書と新約聖書の二つの部分から出来ています。旧約聖書は聖書の前の部分で、日本聖書協会発行の聖書ならば1ページから1326ページまでです。その後の部分は新約聖書で、また1ページから始まって409ページに至っています。

 旧約聖書はイエス・キリストがお生まれになる前に書かれ、新約聖書はキリスト降誕以後に書かれたものです。キリスト教の土台となっているのはこれだけですが、その中に神の深い知恵が隠されています。一冊しか本が読めないとすれば、聖書を選ぶという人はたくさんいます。聖書には、何回読んでもいつも新しく私たちの心を満たす言葉があるのです。

 旧約聖書は39巻あり、主にヘブル語で書かれました。その一部は、ペルシャ時代に広く用いられたアラム語で書かれています。新約聖書は27巻あり、キリストの時代にローマ帝国で広く用いられたギリシャ語で書かれています。聖書のギリシャ語はギリシャの古典に使われたものではなく、コイネーと呼ばれる日常使われたギリシャ語、一般の人々が使った言葉で書かれています。

 聖書は長い年月かかって書かれてものですから、書いた人も一人ではありません。約40人の著者がいるのです。それはもともと宗教の指導者であった人ばかりでなく、王様、政治家、学者、農夫、漁師、取税人、医者などいろいろな人生の背景を持った人が書きました。

 旧約聖書の内容は、創世記から始まって、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五つを「律法の書」といって、モーセが書きました。「モーセの五書」とも呼ばれています。

 創世記はこの世界がどうして始まったかを説明し、人類の歴史の初期を記録しています。出エジプト記はその続きですが、この中には十戒という神が人間にお与えになった律法も出てきます。レビ記、民数記、申命記はそれに続く歴史や神の教え、その当時の社会の制度などを記しています。

 その次のヨシュア記からエステル記までは、その後に続く歴史ですが、これはイスラエル人を中心にして書かれています。聖書の教えは抽象的なものもありますが、その大部分は人間の実際の生活の中で、具体的な形で与えられています。ですからわかりやすく、また興味があり、実際的なものです。

 その次のヨブ記は、ヨブという人の体験を通して、人生の苦難の問題を取り上げています。詩篇は主として、イスラエルの王ダビデの信仰のうたです。箴言と伝道の書は、やはりイスラエルの王であったソロモンが書きました。人生の実際的な問題を取り扱っています。雅歌もソロモンが書いた愛のうたです。

 イザヤ書から終わりのマラキ書までは預言で、いろいろな預言者がイスラエルについて、またこの世界の将来について述べた預言です。その中には、今日の世界に関係しているものもたくさんあります。

 新約聖書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人のキリストの弟子によって書かれたキリストの伝記で始まっています。これを福音書といって、いろいろな問題を抱えている人間に対して「幸いを与えるおとずれ」となっています。

 使徒行伝は、キリストの後、教会がいかに発展していったかを記しています。その後は教会や個人に与えられた手紙です。その大部分は、パウロという初期の教会の有力な指導者が書きました。新約聖書の最後はヨハネの黙示録で、キリストの時代から世界の終末に至る人類の歩みを預言しています。

 聖書は古い本なのでわかりにくい部分もあります。聖書をお求めになった方から、よくどこから読んだらいいかという質問を受けますが、まずよく分かるところから読まれたらいいと思います。例えば創世記は、世界の始めの歴史ですからおわかりになると思います。詩篇や箴言、伝道の書なども味わい深い言葉がたくさんあります。また新約聖書の始めの4つの福音書は、イエス・キリストの生活やその教えですから、読みながら考えると私たちの日ごとの歩みによい助けが与えられるでしょう。それとこの講座によって、聖書の骨組みとなっている考えを勉強なさると、聖書を理解する助けとなります。

2.聖書の特色

(1)生きている古典  ベスト・セラー

 聖書は人間の持っている数多くの本の中で、非常に特色のある本です。まずそれは、非常に古くに書かれた本であるのに、今もなお最も広く読まれベスト・セラーとなっています。また、15世紀にドイツのグーテンベルクが印刷機械を発明したとき、はじめて印刷されたのはラテン語の聖書で、いわば活字文化の先がけとなった本です。

 聖書ほど多くの人に読まれた本はありません。現在913以上の言葉に翻訳されています。日本聖書協会から1955年に出版された改訳聖書は、毎日新聞出版文化賞特別賞を受賞し、日本図書館協会の選定図書となっています。

(2)思想・文化・歴史への影響

 1冊の本で、聖書ほど人間の思想や文化に影響を与えたものはありません。特に西欧文化の土台には、聖書の考えが大きな位置を占めています。聖書の思想は、文学、芸術、科学の分野に広い影響を及ぼしてきました。

 歴史的に見ても、聖書は大きな影響を与えてきました。例えば、近代社会に起こった大きな事件の一つである奴隷制度の廃止において、米国における立役者であったリンカーンを動かしたのは聖書でした。聖書がリンカーンにどんな影響を及ぼしたかについて、アーネスト・ロイドは「リンカーンと聖書」という小文に次のように書いています。

 「聖書が、リンカーンの生涯にどのような影響を及ぼしたかを調べてみるのは、大して難しいことではない。エドガー・D・ジョーンズ博士は、米国において『リンカーンほど、その公の演説に聖書を引用した者はない』と言った。リンカーンの著書を注意深く研究する者は、彼の有名な演説は全て、聖書の言葉によって飾られていることを知るのである。」

 聖書の中に示された人間の平等、人格の自由・尊厳の思想が彼を動かしました。神の光に照らされた彼の良心は、死をも恐れず、あの大改革を成就させたのです。

 終戦後、人格の自由、独立、あるいは婦人の解放ということが叫ばれてきましたが、西欧においてこれらの考えを示唆し、その発展の支柱となったのは聖書であったと言っても過言ではありません。聖書が尊重されたところには、つねに自由と秩序がありました。

 その反対の例の一つは、革命と恐怖時代のフランスです。その頃フランスを支配していた無神論的勢力は、世界のどこにも起こったことがないほど聖書に圧迫を加えました。国会は神を拝することを禁じ、聖書を集めて公衆の面前で焼きました。

 聖書を捨てた人々は理性の女神を拝み、「今や狂信はその力を失い、理性がこれに代わった。…そこでフランス人は、唯一の真の礼拝、すなわち自由と理性の礼拝を行ったのである」(シーアス・フランス革命史・第2巻370、371ページ)と言いました。

 しかし、新しい時代が来たと思った彼らは、恐るべき革命の遠因をつくりつつあったことに気がつきませんでした。聖書の教えは公平、節制、平等、博愛の原則を人の心に植えつけるのです。そしてこれらの原則は、国家を繁栄に導く支柱となります。このような支柱を失ったフランスは、あのさんたんたる流血の革命を招くようになったのです。

 対岸の英国では、聖書に立脚したウェスレー兄弟の宗教運動によって、流血の革命を免れたと言われています。

 自由の精神は聖書と共にあり、聖書が受け入れられたところでは、人々は無知、悪徳、迷信を脱して、人間として正しく、自由に考え行動するようになりました。

(3)個人生活への影響

 聖書は、個人の生活にも大きな影響を及ぼしてきました。

 各時代にわたって、あらゆる国の人々の心の必要を満たし、生きる目的を与え、生活を豊かにし、嵐の多い人生に悩む人々に、希望と平安を与えてきました。人生の全ての希望が失われてしまう人生の終わりにおいても、なお希望を与えてきたのです。ローマ人への手紙15章4節に「これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教えのために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みを抱かせるためである」とあり、どんな時にも希望をもって前途を眺めることが出来るのは、聖書によって導かれる人の特権です。

 聖書は、これを読む人の心や品性を変えてきました。「神の言は生きていて、力がある」とヘブル人への手紙4章12節に書いてありますが、聖書はただ1冊の本として読み過ごせるものではなく、熱心に研究するならば生活に大きな変化を与える書物です。

 6人の子供を残して夫に死なれた婦人がありました。彼女は途方に暮れましたが、聖書を読んで気を取り直しました。「そうだ、聖書が教えているように思い煩いは神にゆだねて、私は自分でやれるだけのことをやろう」と決心して、明るい気持ちになることができ、6人の子供を立派に育て上げました。

(4)調和と統一

 聖書は、職業も経験も、時代も、住んだ場所も異なった約40人の著者によって、1600年にわたって書かれたのですが、全体に調和と統一があることは不思議です。第2次世界大戦中に書かれた本であっても、現在のものとは非常に考えが違っています。時代が40年違ってもそうであるのに、聖書の中では1600年隔たっていても、その考えにくい違いもなく、矛盾もないのです。哲学や倫理学なども、人生についての考えや、価値観、世界観についても学者によって皆違います。聖書には一貫した思想が流れていることは、非常に不思議な事実です。

 聖書の著者は、自分の考えを述べたとは言わないで、「神が言われた」と書いています。旧約聖書の中に、この意味の言葉が3800回以上も用いられ、新約聖書にも同じような表現が使われています。このような聖書記者の言葉は、確実な反対の証拠がない限り、簡単に否定することはできません。

(5)神の霊感

 テモテへの第2の手紙3章16節に「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」とあります。聖書が神の霊感を受けて書かれたというのは、聖書の一番始めの原稿を聖書の記者が書くとき、神の特別な働きかけがあって、それによって聖書が、人間に対する間違いのない導きとなることが

できたということです。ですから、聖書は人間が書いたのですが、神の言葉ということができるのです。また、そうでなければ聖書の持っているいろいろな特色を説明することはできません。

 聖書の原本は今は残っていません。聖書が書かれた時代には印刷機械はなかったので、聖書の原本は手で写した写本によって伝えられました。ユダヤ人の間にはマソリートと呼ばれる人々があって、その人々は聖書を写すことを仕事にしていた学者達です。彼らは聖書の言葉を重んじ、厳密な注意をもって取り扱いました。写本にかかる前に、原本の語数、字数を数えました。ですから彼らは、旧約聖書の各巻がいくつの語、いくつの字からできているかを知っていました。また、各巻の真ん中になっているのはどの語であるか、また旧約聖書全体の真ん中になっている語もどれであるかを知っていました。また、ある語が何回用いられているかも数えていました。写本と原本を比較して、もし違っているものを発見したときには、その写本は訂正しないで捨ててしまったのです。このように注意深く取り扱われてきましたから、原本がそのまま保たれてきたと考えて差し支えないのです。

 新約聖書についても同様なことが言えます。約1500年にわたって、欧州、アジア、アフリカにおいて、多くの人々によって写本が行われ、また翻訳がなされましたが、これはやはり非常に厳格に、できるだけの注意をしてなされ、今日いろいろな国語で書かれた幾千の写本があります。

 これらの写本について、過去300年間にわたって広い研究が行われました。写本や訳本の語を調べて、その違っているところを全部まとめ上げたのです。その結果は、聖書のただ一句でも、その意味が根本的に違っている箇所を見いだすことはできませんでした。発見された違いは、たいてい、一つの語、多くの場合一つの文字で、これを全部考えに入れても、聖書の考え、聖句の意味に根本的な影響はないことが分かりました。つまり現在の聖書は、始めに書かれた聖書の意味を十分に伝えているということです。

 聖書は本当にすばらしい本です。期待をもって、この講座の研究を続けて下さい。

 「聖書をよく知らない人は、すぐに取り戻さねばならない大きな損失をもっているのである。」セオドア・ルーズベルト


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